チョコレート嚢胞・卵管水腫の腹腔鏡下手術記録

チョコレート嚢胞と卵管水腫の腹腔鏡下手術についての明るい記録です。入院の話は8話からです。手術本番は9話です。コメント大歓迎。

チョコレート嚢胞・卵管水腫の腹腔鏡下手術記録11(入院4日目・術後2日目)

第1 これまでのお話

 チョコレート嚢胞と卵管水腫の手術を受けました。

 手術の時間は1時間弱でした。尿道カテーテルも抜き、リハビリで歩き回る日々です。

 今回は、「入院4日目・術後2日目」を書きます。

 

第2 いのちだいじに、大冒険

 いつも通り、起床時間よりも早い5時半頃に起こされ、体温を測り、血圧を測り、といったことを終えます。

 その後、いつものぞろぞろ10秒回診を終えます。

 私の今の仕事は、ひたすら歩くこと。1歩歩けば傷がふさがり、2歩歩けば退院に近づくと信じていました。

 さらに、今日は、大冒険です!

 私は、5階の病室なのですが、階段を使って、1階まで下りて、売店に行くことにしました。いわゆる、自重トレーニングです。

 手すりにすがるように、1段ずつ下りて行きます。果てしない道のりのように感じました。

 1階まで行けたときの達成感は半端ないです。

 その後、再び5階まで階段で上りました。ゆっくり、ゆっくりと。

 動くと、お腹もすくもので、昼食からは、普通に全部食べることが出来ました。

 C病院は、いろいろとアレですが、病室の窓から見える景色の良さと病院食の味はとっても良いです。

 ぼろ雑巾状態から、雑巾状態くらいにレベルアップした心地して、回復を待ちます。

 目指せ、潤いのある人間状態!

 

 

次回は、「入院5日目・術後3日目」を書きます。

吉田輝星くんの登板を見たいので、今日は短くなりました。

チョコレート嚢胞・卵管水腫の腹腔鏡下手術記録10(入院3日目・術後1日目)

第1 これまでのお話

 生理痛、貧血などに苦しみ、産婦人科に行ったところ、チョコレート嚢胞により、右側の卵巣が9センチメートル、左側が5センチメートルに腫れていると言われました。

 大病院のC病院に紹介され、入院し、手術を受けました。

 今日は、入院3日目・術後1日目について書きます。

 

第2 尿道カテーテルを抜いて歩く

1 必ず回復する、と唱える

 午前5時半頃に起こされ、検温や血圧などの検査。

 午前6時起床じゃなかったっけ?と思いながらも、C病院の都合もあるだろう、と対応しました。

 看護師がお腹の痛みを聞くので、

 「痛いですけれど、今日よりも明日、明日よりも明後日、必ず良くなるので大丈夫です」と答えました。

 看護師からは、「あーそうですか」と鼻で笑われましたが、くじけません。

 毎日、看護師から鼻で笑われても、同じ言葉を言い続けました。

 口に出せば、その通りになっていきました。

 今は痛くても、必ず、回復します。

 朝ごはんは無しです。食欲ないので問題ありません。

 医師の回診10秒がありました。ぞろぞろと、なんであんなに沢山の人を引き連れて現れるのだろう?しかも、私の担当医は、手術当日に現れたきり、退院するまで一度も現れませんでした。誰か分からない医師の回診をありがたく受け入れる日々です。

 その後、看護師から身体を拭いてもらい、おむつを取り、通常パンツに着替えさせてもらいました。動けないので、全部お任せです。生き返った気分です。

 

2 歩行練習(午前)

 さて、歩く練習をしよう、となりました。

 起き上がることが、まずは大変です。腹筋が使えない状態で起き上がるとすると、方法が分からないのです。

 病院のベッドは、介護式のもので、電動で座る状態までベッドが動いてくれます。座る状態になってからが勝負。

 私の病院は、基本的に自分でやれ、と言った態度なので、腕の力とおしりを使ってベッドの淵までよろよろと動きます。

 点滴は刺さったままですから、点滴スタンドにすがるような形で立ち上がりました!が、ふらつく。

 「重力やばいなぁ」と思いました。

 少し歩くことは出来たのですが、疲れたので、午後から歩く練習を再開することにしました。いのちだいじに作戦なので、無理は禁物です。

 歩くことが出来れば、尿道カテーテルを外してもらえます。

 私は、カテーテルにさほど違和感がない体質だったようで、カテーテルを取ってもらえたとしても、めまいで歩いてトイレに行けない方が面倒だなぁと思い、歩くのは午後からでいーやと判断しました。

 今日のお昼ご飯から食事が出ます。しかし、胃に空気が入っているような感じがして、みそ汁くらいしか食べられませんでした。

 午後になって、左手にぶっ刺さる点滴を外してもらえました。注射痕は、1カ月以上経った今も、まだ残っています。

 

3 歩行練習(午後)

 午後から、立ち上がる練習を再開しました。午後に立ち上がったときは、全く問題なく、ヨロヨロと歩くことが出来ました。午前中のイメトレの成果は抜群です。

 このスパルタクスな病院に対応するには、とにかく歩いて元通りの身体に戻さなければ、と少しばかりの危機感を持って、ひたすら歩きます。歩けば、血のめぐりも良くなりますし、筋肉の衰えも防ぐことが出来ます。傷口にとっても、良いようです。

 点滴スタンドにすがりながら、ガラガラと歩いては休み、休んでは歩く、を繰り返しました。ぐったりです。

 晩御飯もあんまり食べられず。でも、昼よりは食べられました。

 トイレに行けるようになると、出血の量を聞かれるようになりました。ナプキンに付着した血の量を説明しなければならないのですが、どう説明したらいいのかよく分かりません。500円玉くらい、とか?

 説明の仕方を助けてくれる親切な看護師もいないので、テキトーに答えていました。

 就寝するも、寝つきはやはり悪いですね。

 ただ、生きる力が少しずつわいてきていることは、確かでした。

 熱を帯びた身体は傷口をふさぎ、どんどん回復に向かっていきます。

 

 

 次回は、「入院4日目・術後2日目」です。

チョコレート嚢胞・卵管水腫の腹腔鏡下手術記録9(入院2日目・手術当日)

第1 これまでのお話

 チョコレート嚢胞により、右側の卵巣が9センチメートル、左側が5センチメートルに腫れたため、大病院のC病院に入院し、腹腔鏡下手術を受けることになりました。

 今回は、入院2日目・手術当日の内容になります。

 長くなりますが、お付き合いいただけますと幸いです。

 

第2 いよいよ腹腔鏡下手術

1 手術に向けての準備

 午前6時に起床。

 手術中に便が出ることを防ぐため、浣腸をしてもらいました。わー、浣腸なんて、記憶のある限り、他人にされたことないや。

 もはや、なされるがままである。

 午前9時に入室、午前10時から手術ということで、夫が午前8時過ぎに現れました。

 手術については、私が何かをするわけではないので、気楽なものです。腕のいい(らしい)医師よ、頼んだよ。

 

2 手術本番! 

 午前9時に、手術着(浴衣みたいな物)を着て、血栓予防の靴下を履き、歩いて手術室に向かう。手術室の銀色の大きな自動扉の前で、夫とは、お別れ。いよいよ!

 夫に「よろしく~」と言って、入室。それ以上の言葉を言うことは、なぜか出来ませんでした。

 夫も、「頑張って~」とゆる~い返答。

 私は、何をよろしく願い、何を頑張ればいいのか分からないけれど、それ以外に言うべき言葉は、胸でつっかえていました。

 ただ、他方で、面白くなってきたぞ、と自らを鼓舞しました。

 「不屈の女戦士」との異名を持つ私です。

 手術室は、私以外にも3~4人の患者がいました。最年少の私は、座る場所もなく、所在なく立って待つことに。

 全てが銀色で光っており、月並みな表現ですが、宇宙船のようです。さすが、卵巣内に巣くうエイリアン退治の場所だけある。

 沢山の白衣を着た人がいて、誰が誰だか分からないけれど、たぶん、麻酔医と看護師の方々だと思います。

 名前を呼ばれ、手術台に寝転び、真っ裸になり、沢山の機器を装着しました。

 左手の甲に大きな注射針を刺され、何か分からない液体を入れる準備は完了。

 人生初の酸素マスクを装着されたときに、麻酔医から、「緊張していますね」と言われ、思わず失笑しました。さすがの私も心拍数が爆上がりです。

 ただ、心拍数が上がろうが、下がろうが、笑っていようが泣いていようが、もはやここまできたら、何も出来ないのです。とにかく、テキパキと儀式は進む。他人事のようでした。ことわざ通り、「まな板の鯉」です。

 麻酔医から「今から全身麻酔をはじめますね。」と言われ、その瞬間に身体の中心から放射状に細かい痺れが走り、真っ暗になりました。「はい」という返事すら出来ないのね。

 

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 突然、私の名前を大きな声で呼ばれ、目が覚めました。

 ただ、残念ながら、名前を呼ばれた後の記憶は、まだらです。

 夫の話では、ベッドに載せられて、手術室から病室まで運ばれる間、夫が私に手を振っており、その動作に私が気付いている素振りはしていたみたいです。

 他方で、私は、気付けば病室にいて、酸素マスクを装着されたことぐらいしか記憶に残っていません。つまり、手術室から病室までの記憶が欠落しています。夫が私に手を振ったことも覚えていません。

 手術時間は、予定よりも早く、1時間弱でした。

 右側の卵巣のチョコレート嚢胞は破けてしまっていたそうです。左側の卵巣については、卵管が水腫で「使い物にならず」、捻転を起こす可能性もあったので、卵管のみを摘出したとのことでした。しかし、担当医師が、患者に対して、「使い物にならない」と正直に言う精神がすごい。使い物にならなかったのかもしれないけれど、私にとっては、大事な卵管だったのだから、もう少し他の言い方がありそうね。

 私が全身麻酔で眠っている間に、夫が担当医に呼ばれ、私の摘出された卵管を見せられて手術の説明を受けたとのことでした。突然のことで、さぞかし驚いたんだろうな、と同情します。

 私は、不謹慎ながら、摘出した卵管を食べてみたいなぁ、それが無理でも、見てはみたいな、と思っていたので残念。私の卵管は、どこに行ったのか知らないけれど、然るべき手続きを経て廃棄されたんだろうな。卵管さん、お疲れ様でした。そして、捻転を起こさずにいてくれて、本当にありがとう。

 

3 手術なんて、終わってしまえば、なんてことはない

 ただ、ひたすら、暑いです。身体が発熱しているためだと思います。

 そのうえ、酸素マスクまでつけられているので、息苦しい。2時間は着けないといけない、と看護師さんが言うので我慢。1分1秒がとにかく長く感じました。

 寝返りも出来ないし、ひたすら天井を見ていても全く時間が過ぎないので、見かねた夫がテレビをつけてくれました。少し、病室の空気が良くなった気がしました。個室なので、音を気にしなくて良いのは助かりました。

 暑い、暑いと騒ぐので、看護師が氷枕を持ってきてくれました。なんとか、体内にこもった熱を放出したい。

 両足の先には、血栓予防の機械が装着されていいます。「ブーン・ブーン」とエアバックみたいなのが、膨らんだりしぼんだりしています。また、尿道には、カテーテルが挿入されています。要するに、身動きが全くとれない。

 極めつけには、左手の甲にぶっ刺さる点滴。24時間点滴です。

 とりあえず、吐き気止めと痛み止めを点滴に加えてもらい、その場を耐える。

 お腹を膨らますガスを使用したので、肋骨のあたりが痛むのです。

 吐き気?よく分からないけれど、胃にも空気が溜まっている感覚がしました。

 本日は、絶食。食欲も無いので、これは問題なし。

 水分が摂れないことは大変。というのも、全身麻酔のときに、のどに管を通しているので、なんだか喉がイガイガするのです。

 咳やくしゃみはお腹にひびくー。

 

4 手術当日の夜について

 さすがに夜は、眠れなったなぁ。暑いし、痛いし。

 親切とは言い難い病院で、看護師に「寝返りが打てなくて腰が痛い」と言っても、ほとんど介助してもらえない。看護師は、「自分で膝を立てて横を向いてください」と言うが、そんなこと、出来やしないよ。

 ただ、1人だけ、ベテランの親切な夜勤の看護師さんがいて、「痛くて眠れないんだね。痛み止め打つね。」と言って痛み止め打ってくれました(痛ければ、痛み止めを打ってもらえると教えてもらっていなかったのです。)。

 他にも、そのベテラン看護師さんは、私の腰が痛いことを気づき、横に向くことを助けてくれました。彼女がいなければ、本当に辛い夜となったと思う。おかげ様で、1時間くらいは、眠ることが出来ました。

 不親切な看護師については、労働条件が悪くて不満が溜まっているんだろうな、と思うと、何も言えないものです。彼女たちには、彼女たちの言い分があるだろうし。

 もし、会って話せるとしても、少なくとも健康になった今は、「大変な仕事ですね。本当にありがとうございます。」と伝えるべきだとも思っています。

 

 以上が、手術当日です。長文を読んでくださり、ありがとうございます。

 

 次回は、「入院3日目・術後1日目」を書きます。

チョコレート嚢胞・卵管水腫の腹腔鏡下手術記録8(入院1日目・手術前日)

今日からチョコレート嚢胞による入院・手術の話を書きます。

私は、6泊7日の入院でした。他の人よりも、少し長いかもしれません。

 

第1 これまでのお話

 チョコレート嚢胞により、右側の卵巣が9センチメートル、左側が5センチメートルに腫れていることが判明しました。

 左側の卵巣については、よく分からない状態とも言われていました(手術によって、卵管水腫であることが後に判明します。)。

 卵巣の腫れについては、ジエノゲストという薬を飲み、腫れはずいぶんと小さくなりました。

 チョコレート嚢胞なのか、卵巣ガンなのかは、最終的に卵巣の細胞を検査しなければ判断できないとのことでした。

 よく分からないなりに、腹腔鏡下手術がベストだろうと考えるにいたり、手術を受けることにしました。

 なお、入院よりも前に麻酔医との面談がありました。

 

第2 入院1日目・手術前日の様子

 午後1時頃にC病院に行きました。

 担当医の診察を受け、入院しました。

 荷物を取りに駐車場に行こうとしたら、なぜか、入院事務の方から、「あなたは入院したのだから、外出禁止」と言われ、夫が一人で荷物の搬入をすることになりました。謎ルールだし、事前に言って欲しかったな、と。

 次は、全身麻酔を受けるので、肺に口腔内のばい菌が入らないように、口腔ケアを受けました。普通の歯医者さんに行く感じです。歯石も取ってもらえ、歯がピカピカになって気持ちが良いです。

 荷物を出したり入れたり、病院のルール説明を受けたりしていると、あっという間に時間が過ぎました。

 楽しみにしていた病院食、量が少ないけれど、美味しかった。

 明日から3日間、入浴できなくなるので、シャワーを浴びて就寝

 果報寝て待て。

 消灯9時、起床6時の健康生活の始まりです。

 病室が暑く、寝苦しい夜でした。なぜか、暖房がマックスに設定されていました。

 そりゃ、暑いわ。

 全身麻酔を受けるので、水分の摂取が翌朝の午前6時以降は禁止、要注意です。

 さっさと入院して手術を受けたかったので、良かったな、と安心した一日でした。

 

 

次回は、「入院2日目・手術当日」です。書きたいことが盛りだくさんです。

チョコレート嚢胞・卵管水腫の腹腔鏡下手術記録7(入院の際に準備したもの)

第1 電子機器

・電池式の携帯ラジオ

 テレビが有料で使い勝手が悪かったので、携帯ラジオでぼんやりと音楽を聴いていました。繰り返し流れるので、あいみょんさんの「ハルノヒ」が好きになりました。

 

・ポケットWi-Fiは、あるといいかもしれません。

 私は、外来病棟には公衆Wi-Fiがあったので、てっきり、入院病棟にも公衆Wi-Fiがあるもんだと思い込んでいました。たまたま、ポケットWi-Fiを解約した直後で後悔。ただ、携帯電話のテザリング機能で足りました。

 

・アップルウオッチ

 心拍数や歩行距離を計測してリハビリのモチベーションを上げていました。退院後も、意識的に歩くことが出来たのでおすすめです。

 

・iPad

 漫画や書籍を読みました。

 

・モバイルバッテリー

 電源も有料で、1時間ごとに更新しなければならず、面倒だったので、夫に頼んで自宅で充電して持ってきてもらっていました。

 

第2 身の回りの物

・お箸やスプーン。まさかの自分で用意しなければならなかった。

 

・プラスチックのコップ

 

・歯ブラシ

 

・タオル類

 

・パジャマは、1日70円でレンタルしました。

 

・S字フック(吊るしてスーパーの袋をかけて簡易ゴミ箱にしました。)

 

・ウエットティッシュ(術後3日間入浴出来ないので。)

 

・オムツ(手術後は、1日おむつ。病院のコンビニで1個売りしていました。)

 

・生理用品(手術後は、ジエノゲストで生理を止めていても出血しました。)

 

・生理用ショーツ

 

・ペットボトル用ストロー(100均で購入)

 

・好きな本(短編とか、名言集とかが楽)

 

樹木希林 120の遺言】

 本好きなので、ここは少し紹介させて下さい。

 私は、「あん」という、観ると誰もがどら焼きを食べたくなる映画が好きで、主演の樹木希林さんのファンになりました。

 お亡くなりになられて、本当に残念です。勝手に「死なない人」と思い込んでいました。

 樹木希林さんの名言集の樹木希林 120の遺言」は、入院中にパラパラと読んでいました。弱った心と身体にしみる(刺さる)言葉です。

 好きなときに好きなページを眺めることも出来るので、入院中に読むには最適だと思います。

 1つだけ、引用させていただくと、

「どうぞ、物事を面白く受け取って愉快に生きて。あんまり頑張らないで、でもへこたれないで」

 です。

 どんなことでも、面白がってやろうと思い、このブログを書いています。お葬式みたいに、沈痛な儀式と捉えられるのは、まっぴらごめんです。

 最後の120個目の言葉は、しびれる格好良さなので、是非読んでください。

樹木希林 120の遺言 ~死ぬときぐらい好きにさせてよ (上製本)

樹木希林 120の遺言 ~死ぬときぐらい好きにさせてよ (上製本)

 

 

 

3 健康保険高額医療費の事前申請

・病院で申請書類をもらえるので、簡単に事前申請出来ました。

 所得によって、医療費の支払いが減額されます(事後申請も可能です。)。

 所得の算定に当たって、賞与が含まれない点がポイントです。

 

 

次回から、1週間の入院についての話を書きます。

チョコレート嚢胞・卵管水腫の腹腔鏡下手術記録6(医師への意思表明の仕方)

第1 これまでのお話し

チョコレート嚢胞により右側の卵巣が9センチメートル、左側が5センチメートルに腫れたため、いろいろと考え、夫とも相談し、情報も収集したうえで、腹腔鏡下手術手術を受けることを医師に伝える日がきました。

 

第2 医師への意思表明の仕方

1 A4の紙1枚にまとめる

 大病院の医師は、とにかく多忙です。

 下手すると1000人単位の患者を扱っていることから、優しさとか忖度を期待しては一切だめです。

 私の担当する医師は、1時間に10人の患者の予約が入っています。

 つまり、私に割ける時間は、わずか6分

 通常は、超音波検査を受けるので、着衣をマッハで着替えたとしても、検査のためには、3分はかかります。

 そうすると、私が医師と話せる時間は長く見積もっても3分

 ウルトラマンもびっくりです。

 自分の苦しみや悩みを伝えることは諦め、手術の意向を伝えることに専念しました。

 自分の意思をいかに短時間で、かつ、分かりやすく伝えるのかが勝負なので、A4の紙1枚に箇条書きに自分の希望を記載して、担当の医師に交付しました。

 内容をざっくり述べると、

 

 ①挙児希望

 ②腸などに癒着があった場合は、先生に判断をお任せしたい

 ③手術の希望日程

 です。

 以下、その内容を記載します。

 

2 挙児希望

 私には、幸いにも知人に産婦人科医がいました。

 その方の話では、とにかく「挙児希望」は言っておいて損は無い、とのことでした。

 「挙児希望」とは、子どもが欲しいという意味です。

 私は、第4話で述べたとおり、子どもが欲しいかどうか分からないし、最優先を自分の命と考えていました。

 子どものことは、手術後にゆっくり考えればいいや、と思っていましたが、担当の医師には、「挙児希望」と伝えました。

 挙児希望については、きちんと伝えないと、病巣をがっつり取られるかもしれないからです。

 もちろん、担当医師は、相談できる相手ではないので、「とりあえず」の部分は伏せました。

 挙児希望を伝えると、医師は、妙に喜んでいました。

 

3 判断を任せる 

 知人の医師には、

 「難しいことは分かりません。先生にお任せします。」

ぐらいの、へりくだりも必要だとの心構えも教えてもらいました。

 手術中は、気絶しており、自分の意思なんて表明できないわけですから、一定の裁量を医師に委ねるのは当然のことでもあるのかもしれません。

 開いたお腹を閉じて、意思確認後、再手術なんて全く望んでもいませんし。

 また、腸などの癒着については、よく分からないのが本音です。

 

 人工肛門になると大変だなぁとは思っていました。

 まぁ、悩んでも仕方ないし、人工肛門になろうが、子宮や卵巣を全て失おうが、私は生きたいと思っていました。

 これが、「いのちだいじに」作戦の真骨頂です。

 

 

 

次回は、「入院の際に準備したもの」です。

そろそろ、入院の話を書きたいので、次々回から、入院の話を書きます。

チョコレート嚢胞・卵管水腫の腹腔鏡下手術記録5(チョコレート嚢胞の情報収集について)

第1 これまでのお話

 チョコレート嚢胞などにより、右側の卵巣が9センチメートル、左側が5センチメートルに腫れてしまいました。いろいろと考えた結果、腹腔鏡下手術手術を受けることにしました。考えた内容は、下記の第4話をご参照ください。

 

momotarson.hatenablog.com

 

 

第2 情報収集について

 手術を受けると決めたのはいいのですが、

  腹腔鏡下手術ってどんな手術をするんだろう?

  そもそも、チョコレート嚢胞ってなんなんだろう?

という根本的な疑問が今更出てきました。

 今まで述べてきたように、私の担当する医師は控えめに言っても親切なタイプではないので、自分で本を読み、親切な方のブログやSNSを読んで、知識を蓄えていくことになりました。

 他方で、友人に相談することは気おくれしました。

 私の世代の友人たちは、子どもを産み、育て、充実した日々を送っていたので、その幸せに水を差すような気がしたからです。

 どんなに明るい言い方をしても、気遣われるだろうし、腫れ物に触る扱いになるだろうな、と。

 そんなわけで、独学を決めました。

 

1 ブログについて

 ブログは、藤崎奈々子さんのブログを最初に読みました。

 勇気と元気をたくさんもらえるのでお勧めです。

 インターネットで検索すると、それなりの数のブログがあります。

 みんな、頑張って生きているんだと励まされました。

 

2 本について

  最近出版された、卵巣について詳しい本は見当たりませんでした。

 2012年出版ですが、分かりやすい書きぶりで理解が進んだので、お勧めです。

 新しくて初心者向けの本があればいいのにな、と今も思っています。

卵巣の病気  月経の不調から卵巣がんまで (健康ライブラリー)

卵巣の病気 月経の不調から卵巣がんまで (健康ライブラリー)

 

 

 3 経験者の話

 義理の母親が内視鏡下手術を受けたことがあったので、励ましの言葉や、手術の話などを聞くことができました。

 心の支えになる言葉は、今でも私を勇気づけてくれています。

 母の話では、「手術後は、歩くことで回復するので、頑張って歩こう!」ということでした。

 なので、私は、手術後ひたすら病院内をヨロヨロと徘徊しました。この話は、後日書きます。

 

 

次回は、「医師への意思表明の仕方」です。