チョコレート嚢胞・卵管水腫の腹腔鏡下手術記録

チョコレート嚢胞と卵管水腫の腹腔鏡下手術についての明るい記録です。入院の話は8話からです。手術本番は9話です。コメント大歓迎。

チョコレート嚢胞・卵管水腫の腹腔鏡下手術記録17(3カ月検診・その後)

1 「その後」について

 前回の記事から、約2カ月の月日が流れました。

 誰かの足元を照らす小さな光となりますように、と祈りを込めて筆を置いたのですが、私も生きているので、「その後」が当然あります。

 幸いにも、このブログは、静かに閲覧数を伸ばし、ときに、大変ありがたいコメントを頂くこともあります。

 誰かの必要とされているならば、「その後」を、もう少し書いてみよう、と思うようになりました。

 私は、文章を書くことが仕事の基本なので、そのトレーニングを10年以上積んできました。ですので、その能力を少しでも皆様に還元できたらいいな、と思っています。

 もっとも、仕事の書式・文章でブログを書くと、読みにくくて仕方ないと思うので、かなり読みやすく崩しているつもりではありますが、漢字が多くなってしまったり、読みにくい表現になってしまう点は、ご容赦下さい。あと、長くなりがちです(-_-;)

 

 ちなみに、「ももたーそん」は、愛犬(柴犬)の「もも」から名前を拝借しました。本当は、「もも」という名前で始めたかったのですが、誰かが使用済みでして、「ももたーそん」という名前に落ち着きました。なので、私のことは、「もも」と呼んで下さっても問題ありませんし、そもそもペンネームなので、何かしら記号化して特定してもらえれば、それでいいです。

 

 今日は、①3カ月検診の内容、②術後の身体の回復具合について書きます。分量が多くなってしまったので、次回にジエノゲストの薬効について書きます。

 

2 3カ月検診の内容

 60分枠に、15人の人が予約されていました。

 つまり、私の持ち時間は、ついに6分すら無くなったということです。

 いつものように、A4の紙1枚に伝えたいことを記載して持っていきました。

 ずいぶんと待って、待って、待ち続け、診察が終わったときは、時間が3時間経っていました。

 腫瘍マーカーの数値は、正常値に下がりました。

 超音波検診をしたのですが、特に問題は無いとのことでした。

 ジエノゲストによる不正出血があることを伝えたところ、リュープリンによる注射の治療方法もある、と伝えられました。ただ、私は不正出血の量もそれほど多くは無いですし、副作用も大したことないので、引き続きジエノゲストを処方してもらうことにしました。

 次回の検診は、6カ月後とのことでした。

 おそらく、半年に1回の割合で、私は通院していくのだと思います。

 良い時間つぶしの仕方を研究しようと思います。

 

3 術後の身体の回復具合

 ゆうさんからリクエストがあったので、術後、どのように身体が回復していくのかを記載します。

 

⑴ 私の考え方

 私は、手術後1年間は、何があっても仕方ない、と思っています。逆に言えば、1年経てば、元通りになると信じています。焦らず、ゆっくりと。

 卵巣が9センチメートルまで腫れ、卵管を切除することになるくらいの病気を患ったわけですし、全身麻酔やら腹腔鏡下手術といった、身体に負担がかかる体験をしたわけですから、そりゃ、そんなもんだろうな、と。

 ただ、漫然と1年間を過ごすのは、面白くないです。

 そこで、1カ月目の目標、3カ月目の目標、6カ月目の目標、1年目の目標を定めて生きています。ちなみに、この1カ月、3カ月、6カ月、1年というのは、私達の業界では、「辞めたくて仕方ない病」が発症する節目です。それさえ耐えれば、何でも乗り切れます。

 今回は、1カ月毎のだいたいの目標を書きましたが、基本的に、上記の期間での目標を決めています。皆さんも、楽しいイベント参加、などの目標を決めると楽しいですよ。

 

⑵ 術後~1カ月

・目標

 とにかく、歩いて傷の回復を早めよう!

 

・現実

 概ね、目標は達成していました。

 ひたすら歩いていました。

 普段は、毎日車を運転していたのですが、車の運転が禁止されていたので、歩かざるを得なかったということもあります。

 ゆっくりしか歩けませんが、毎日回復していくことが楽しくて仕方がありませんでした。

 仕事は、午前中のみ勤務でした。

 自営業なので、しんどくなれば、「ごめん!」と言い残して、さっさと帰っていました。

 2週間経過した頃には、映画「ボヘミアンラプソディー」を映画館で観ることが出来る程度に回復していました。

 

⑶ 1カ月後~2カ月後

・目標

 普通人と同じ速度で歩き、仕事も定時まで働こう!

 

・現実

 普通人と同じ速度歩行は、成功。定時まで働くことは失敗。

 シャワー入浴から湯舟につかることが出来た点では、大躍進。

 

 術後1カ月間が、あまりにも順調に過ごしすぎたので、元気になったと誤信しました。

 簡単に言うと、調子に乗りすぎた、ということです。

 38度超えの高熱が出ました。喉から左耳の奥にかけてひどい痛みに襲われました。

 解熱剤などを使って、一日で熱は微熱まで下がったのですが、その後がさらに地獄でした。

 咳が止まらないのです。咳のしすぎで、肋骨にヒビが入り、くしゃみさえ、激痛。

 この状態が1カ月続きました。

 せっかく復帰した仕事も、ほとんどこなせず。

 咳がひどすぎて、電話すら出来ません。

 とはいえ、大阪出張や北海道出張の仕事もあり、今更キャンセルも出来ないので、ゼェゼェ言いながら、なんとかやりきりました。根性だけは、人並み以上に備わっているのです。

 ただ、手術よりも痛い思い出です。

 夫も同じ風邪をひき、二人でノックダウン。手術によって、夫にも心身の負担をかけてしまっていたことに気づきました。

 

⑷ 2カ月後~3カ月後

・目標

 ブログを書いてみよう。

 定時で問題なく働きたい。

 

・現実

 ブログを書きました。

 ブログを書くことが出来るくらいに、物事を客観的に見ることが出来るようになりました。また、仕事も普通にこなせるようになりました。

 しかし、調子に乗ると、また、体調を崩すんだろうなぁと思い、無理だけはしないように気を付けていました。例えば、定時に帰ることだったり、食事は自分で作って食べるようにする、といったことです。

 当たり前のことに思われるかもしれませんが、チョコレート嚢胞が発覚するまでの私は、「ワークライフバランス」などという概念は存在しませんでした。徹夜で仕事をしたり、土日も休みなし、でした。夕食も、仕事がおしている場合は、外食が続きました。そういった生活には、戻すことは出来ないな、と今も思っています。

 

⑸ 3カ月後~4カ月後→現在

・目標

 元通りの仕事が出来るようにしてみよう。

 腹筋・背筋を鍛えよう。

 

・現実

 概ね、成功しています。

 3カ月が過ぎてから、新規の仕事を受けるようになりました。

 今までは、過去の仕事を回すことで精いっぱいでした。

 ただ、定時に帰ることが出来なくなってきました。この連休中は、長く眠っているので、疲れは溜まっているように思います。

 健康面では、何らの問題もありません。

 傷口も目立ちませんし、温泉にも行っています。

 医師からの禁止事項は、何もありません。

 

 3カ月が過ぎるまでは、1日1日が無意識的にではありますが、頑張って生きている気がしていました。気が張っているというか。

 3カ月が過ぎ、やっと、通常通りに戻った気がします。

 もっとも、私の場合は、ひどい風邪をひいたこともあるので、他の人はもっと早くに回復しているのかもしれません。

 また、腹筋と背筋を少しずつ鍛え始めました。筋肉が固くなってしまったので、柔軟体操などもしています。

 

 

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 ざっくりと、ではありますが、今日はこれまで。

 次回は、「ジエノゲストの薬効」を書きます。明日から仕事なので、少し遅くなるかもしれません。

 お付き合いいただけると嬉しいです。